Citroënは、1955年10月4日フランス最大のモーター・ショーであるパリ・サロンでCitroën DS19を発表した。
当時、このDS19の先進的なスタイルと独創的なメカニズムは「20年進んだ車」と言われ、まるで未来からやって来た乗り物のように報道された。
DSの独創的なメカニズムの代表的な物として「ハイドロニューマチック・システム(Hydropneumatic System)」があるが、これは油圧ポンプから送り出されるオイルの圧力により、サスペンション、ギヤボックス、ステアリング、ブレーキを制御する画期的なシステムであった。そのシステムにより制御されたサスペンションはハイドロニューマティック・サスペンション(hydro=水、pneumatique=空気)と呼ばれ、その後のCitroënのしなやかな乗りごごちを作り出した。その足回りで重要な役割をするスフェアと呼ばれる物は、ソフトボールほどの大きさの中空の球に窒素ガスとオイルを収め、その圧力のコントロールだけで車体の姿勢を制御し、快適な乗り心地を実現していた。エンジンを切りしばらくすると、お座りした(車高を維持していたオイルが抜け地面に張り付いた)DSができ上がる。
4速のギアはやはり油圧により実現された半自動変速機が付き、ペダルはアクセル、ブレーキ、踏み込み式のパーキングブレーキとなる。クラッチが無い“半”オートマの様な物であるが、オートマ免許で乗れるということである。ブレーキの形状は特殊で、椎茸の傘のようなモノを踏む。ただ、その形状や仕組みから想像されるような特殊なフィーリングかというとそんなことは無く、普通の車として運転することが可能である。初期の型でない、いわゆるDSとしてイメージされる事の多い、ライトがボディー内に収められたDS23など「猫眼」型と呼ばれるものは、車体のピッチングに連動し光軸を水平に保ち、さらに内側2灯はステアリングを切ると連動して左右にライトを振り進行方向を照らす仕組みが備わっていた。
このように、当時であれ現在であれ特殊に思えるこの車が、実は生産終了の1975年まで約145万台以上送り出され、当たり前のように街を走っていたのである。そしてDSはカーオブザセンチュリー(全世界の自動車評論家・雑誌編集者達により選考された、20世紀の名車ランキング)において、1位:T型フォード、2位:ミニに続き3位という評価を受けた。極めて強烈にオリジナルとしての存在を見せつけ、一つの景色すらも創り出す特別な存在の車である。最近の日本でのTVCMですら未だに登場する、使いたくなる車でもあるようだ。